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地域の歴史文化を学ぶ。

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    甲州語り部の会は、2011年に設立してから6年目を迎えています。地域の歴史文化を学び、次世代に語り伝えていこうと活動しているボランティア団体です。
    勝沼は、ワインとぶどうの歴史遺産がたくさんあります。明治10年、二人の青年がフランスに渡りワインとぶどう栽培技術を学び、帰国後、本格的なワイン造りが始まりました。
    シリーズ1 高野、土屋の二人の青年の物語。
    [ワイン醸造の夜明け]
    明治政府は、殖産興業政策を基本とし、そのシンボルは、養蚕、ワインとぶどう栽培に置かれていました。当時の県令藤村紫朗は、祝村にワイン会社を作り、資金を集め、青年2人を推挙すればフランスに派遣する旨を伝えていました。祝村は、日本で初めてのワイン会社[大日本山梨葡萄酒会社]を明治10年8月に設立。設立と同時に明治10年10月10日.会社は、高野正誠25歳、土屋助次郎19歳の二人の青年をフランスに派遣し、本場のワインとぶどう栽培を学ばせました。同行したのが、後の山梨県知事の前田正名(パリ博覧会事務副総裁)でした。航路は45日かかったそうです。フランス語を学び、トロワ市のシャルル・バルデー 氏の農園で葡萄の栽培方法を学び、モーグ村のピエール・ジュポン氏の農園で葡萄酒醸造を学びました。二人は勉学を半年間延長して明治12年3月無事横浜港に帰り着きました。
    本格的なワイン醸造が始まりました。工場は下岩崎の雨宮彦兵衛さんの日本酒工場を使い、仕込みの葡萄は、甲州ぶどうを使いました。記録によると、醸造費は、128円余り、30石のワインを初めて勝沼で造ったのです。
    しかし、良質なワインを造る道のりは遠く、発酵技術も未熟で販売ルートも幼稚でした。結局、二人が所属した葡萄酒会社は、数年で仕事をやめ、会社もやがて解散してしまいました。土屋助次郎は、名を龍憲と改め、岩崎の宮崎光太郎と共同で、甲斐産商店 を興しました。明治23年の春、二人は袂を分かち、土屋助次郎はマルキ葡萄酒を、宮崎光太郎は、甲斐産葡萄酒、エビ葡萄酒を醸造し、広く東京方面に販路を拡大しました。現在は、宮光園として保存されています。一方、高野正誠は、400ページ余りの葡萄三説を出版、広くこの道に貢献しました。甲州市は、10月10日をワインの日に制定しています。

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